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自称フロントエンドエンジニアが何か喚いています。

とあるフロントエンドエンジニアの出産までの記録〜妊娠初期編〜

9月1日に子供を産みました。可愛い息子です。毎日泣いてる理由を探して、抱っこして、腰痛になりましたが私は元気です。

妊娠期間中のことを思い出すと、ひたすら仕事ばっかりしてて、マジで妊婦らしさとは程遠いな…と今になって思うのです。マネしてはいけない。

そんな社畜フロントエンドエンジニアの妊娠から出産までを思い出しながら書いてみます。まずは妊娠初期の話。

2016年12月

仕事が最高潮に忙しい。

会社の窓の外は煌びやかにイルミネーションが輝いてたけど、帰る時間には既に消灯されてる毎日。ストレスマックス。昼ごはんもまともに食べてなかった。

毎日終電近くで帰ってきてからFF15を数時間プレイすることで自分を保ち、翌月から3ヶ月連続であるライブだけを励みに生きていたこのころ、生理が来てないことには気がついてた。生理周期の安定感に定評のある私だったが、さすがに忙しすぎて周期がおかしくなったのかと思っていた。

2017年1月

年始は旦那の実家で過ごしてた。義理の実家で何もしないクソ嫁っぷりを発揮し、遊び呆けてた。アイススケートに初挑戦し、義理の姉と甥に醜態を晒すなどして過ごしたり、酒呑んだくれてたり。環境かわったら生理くるかもなー、と思って準備してったが、やはり来ない。

正月休みも終わって出社して、また周囲を呪うレベルの忙しさがやってきたのだが、このころ死ぬほど体調が悪かった。吐きそうだった。仕事とかやってらんなかった。

生理こない。
体調悪い。


あれ?私妊娠してね?


と、この辺りでようやく気づくことになる。


会社帰りにソッコーで妊娠検査薬を入手し使ってみると、ハッキリと陽性反応。光の速さで旦那に報告。喜んでもらえて安心した。

そしてすぐさま産婦人科検索。このときはまだどこで産むとか考えてなかったが、里帰りしなかった場合のことも考えて、初期から出産まで全対応で、「自然派」とかうたってなくて、痛いのが嫌過ぎたので無痛分娩可能なところを探した。自宅周辺にはなかったので、別の駅になった。

これまで産婦人科とか一回も行ったことなくてキョロキョロしながら行ったけど、おじいちゃんおばあちゃんのいない綺麗な病院っていう印象だった。


軽く助産師さんとお話して、内診して、先生から「確かにいらっしゃるね」とお墨付きをもらった。


このときは全く実感がわいておらず、まず思ったのが

今月と来月と再来月のライブいけるの???

※結局1月と2月のライブは行かなかった


会社へ報告するタイミングをとても悩んだのだけれど、弊社は社長1人社員2人という極小会社で、誰かが突然いなくなるとヤバい。中の人を優先しながら社畜街道を爆走するには早めに言うしかねぇな…と思い心拍確認前に報告した。


私の親にはすぐ報告したけど、義母への報告はちょっと待ってもらった。


後日、中の人の心拍確認をし、母子手帳をもらうと、「私妊婦なんだなー」としみじみ思った。


どこで出産するかは悩んだけど、親の勧めもあったので里帰りすることに。里帰り後の病院の目星をつけ連絡し、分娩予約とかはどうすれば良いか尋ねたら、まさかの初診のとき(32週ごろ)でOKとの回答が。先着順とかじゃないの?予約埋まらないの?とかビビりまくったんだけど、どうも予約を断らないというスタンスの病院だったようだ。

東京でかかっていた産婦人科では10週の段階で分娩予約が必要で、なおかつ早く予約しないと枠が埋まってしまったりだったので、病院も色々だなーと思った。


そういえば、母子手帳と一緒にマタニティマークを貰ったので、通勤バックにつけたんだけど、あまりいい話を聞いたことがなく(暴言吐かれたとか押されたとか…)しばらくは内心ドキドキしてた。でも私の運が良かったのか被害にあった方の運が悪かったのかはわからないけれども、親切にしてもらったことしかなかった。

今考えると意味不明なんだけど、この時は親切にされ慣れていなかったため、人に親切にしてもらうのは肩身が狭かった。電車の席譲ってもらいながらスマホいじるのは失礼なのでは…?とか思って、車内の広告をじっと見つめつづけたりとか。自分が譲る側だったときは、譲った相手が席で何してようが何ひとつ気にしたことはなかったのに。


ちなみに、今電車で私の前に妊婦さんがきたら速攻で席譲りますので是非どうぞ!

2017年2月

つわりまっさかり。私はつわり自体はかなり軽い方ではあった(と思われる)。


とはいえ常に車酔いみたいな状態ではあったので、通勤電車や会社ではつねにゲロンパとの戦いである。ポイフルを食べると少しマシになっていたので、頻繁に購入していた。


よく耳にする食の好みの変化というものは全く起こらず、食べられなくなったものも、食べられるようになったものも特になかったが、この頃はとにかくマックのポテトを食べたかった。妊婦にはありがちなことらしい。

しかし会社の近所にも家の近所にもマックは存在せず、旦那が会社帰りに買ってきてくれてたけどポテトはしなしなで、私のポテト欲を満たすことはできなかった。だましだましじゃがりことかじゃがビーとか食べてた塩分過多妊婦である。


その他の変化としては、通勤路にLUSHがあったんだけど、とにかくその店の前の匂いで吐きそうになってて、この店の存在を呪った。あとは会社に置かれた消臭パフパフのにおいとか、柔軟剤のにおいも苦手になった。一般的にはいい匂いであっても、妊婦にとってはテロになりうることをこの時知った。つわりの時期過ぎたらなんてことはなかったけれども。不思議である。

風邪予防って意味もあったけど、においをごまかすために常にマスクを着用してた。


私のかかった産婦人科はありとあらゆる検査をフルコースでやってくれるところだったので、妊娠初期の段階では健診1回につき補助券使っても自費での負担額が¥20000超えとかになってて、出産って金持ちにしか許されないやつなのかよ…って思った。(病院によると思います)

お金と引き換えに、現状は極めて健康体という事実を手に入れた。


仕事については年末からやっていた案件がやっとひと段落つき、まともな時間に帰宅できる日も多くなった。私の業務的にPCとネット環境さえあればどこでもできたので、実は自宅でやってもOKという会社側の許可もあったんだけど、膨大な量のデータを持ち帰るのがダルい、という理由でよっぽど体調が悪いとか、やたら天候が悪いとかでもない限り、だいたい毎日LUSHの匂いに吐きそうになりながら出勤していた。


残業しまくり&残業代などない弊社だけど、良いところとしては、仕事が問題なく進むのであれば、出勤時間は各々の裁量に任せる、という感じのところ。平日のライブ参戦時は余裕で定時(一応存在はしている)2時間前退勤とかしていたが、妊娠中は朝のラッシュを避けられる時間帯に出勤できたのがありがたかった。

ただし帰宅ラッシュだけはなんともできず、たまに定時に会社を出るとぎゅうぎゅうの満員電車で、お腹だけは死守する感じであとはひたすら無になってた。満員電車コワイ。目の前にマタニティマークをつけた妊婦さんがいたこともたまにあって、ああこの人もがんばっている…と、勝手に仲間意識が芽生えてたりした。

2017年3月

つわりもやや落ち着き、飯が美味い時期に突入しつつあった。下北のマジックスパイススープカレーを食べたり、コメダでモーニングを食べたり、普段の食事もお菓子もモリモリ食べる、食欲王マタニティに進化。これが後に体重となって重くのしかかることをこの時の私は知る由もなかった。


1月と2月にあったライブはチケットも買ってあったが泣く泣く見送った私だったが、3月なら安定期に差し掛かりつつあるし、ここで行けなかったらもう数年ライブ参戦できないとか無理です絶対行きたいです、と産婦人科の先生に相談したところ、「ジャンプ禁止」「何かあったら抜け出せるところで見る」という感じなら行っても大丈夫というドクター許可をいただいたので、喜び勇んで行った。ライブはとにかく最高でしたがそれは置いといて。


この辺りで私の両親が私の様子を見に東京に来た。この時の私は赤ちゃんグッズはおろか、マタニティ用品も何一つ持っていない状態だったのだが、なにしろ妊娠は初めてだし親が妊婦だったのは30年近く前で何一つ覚えてないと言うし、まだお腹も目立ってないしつわりがあるぐらいで身体になんの変化もなかったため、何を揃えていいかわからない。赤ちゃんの服を買うにも、性別がまだわからないのでどの色を買うかも決まらないし、結局直近で使えそうな妊婦用の腹巻みたいなのがついたジーンズとか腹帯とか買った。

今になって思い返すと腹帯はほとんどつけてなかったし、お腹の冷え防止には貼るタイプの使い捨てカイロを使っていたし、あんまいらなかったな…。腹ガードつきジーンズは臨月まで履き倒した。


この頃、仕事が非常にカオスな状態になっていた。弊社はとても人数が少ないが故に、会社の中で私しかできない作業というものが数多く存在し、それが年度末に大量に押し寄せ、毎日がエブリデイ\(^o^)/状態に。更にもう1人の社員の身内に不幸があり、その人が抱えていた案件は外注することになったのだが、何故かその指示出しやらチェックやらを私がやることになり、自分の仕事が全く進まない(白目)。またもや定時過ぎてからが本番、という事態に陥ったのである。

さすがに終電近くまでやっていると、疲労からかお腹の張りがかなりあり、毎日苦しみながら帰宅していた。今思うとても危険な働き方してたなと、反省しかない。


平日は毎日こんな状態で、夕食はどうしていたのかというと、スーパーの値引きされたお惣菜orコンビニめしor松屋という、妊婦には良くなさそうな感じだった。気休めに、サラダとかおひたし的なものもつけるようにはしていたけど、どう考えてもカロリーも塩分も取り過ぎダヨネー。幸いにも妊娠中毒症とかにはならなかったけれども。




こうやって思い返して見ると、今目の前にいる息子、よくぞ無事に産まれて来たな…と思うぐらい毎日ストレス&不摂生な生活を繰り広げてたなと感じます。次回の妊娠があるかどうかはわからないけれど、もしあるのならもっと中の人に配慮した生活を送りたいですね。


次回は妊娠中期の思い出を書きます。