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自称フロントエンドエンジニアが何か喚いています。

とあるフロントエンドエンジニアの出産までの記録〜妊娠後期・出産編〜

あけましておめでとうございます。

いつの間にか2018年。インフルエンザが怖くて、生活範囲が家と近所の公園とスーパーになっていますが、私も息子も元気です。

 

前回に引き続き、妊婦だったときの思い出、今回は妊娠後期から出産までのお話です。

 

 

2017年7月

 

実家へ里帰り。一般的には臨月辺りから帰る人が多いようだけれども、病院の都合上このタイミング。

 

私の実家は山山山田んぼ田んぼ山山畑!!!みたいな田舎にある。近くにコンビニなどない。バスが1時間に1本。徒歩範囲内に駅など当然ない。

 

 

23区外とはいえ東京近郊に10年近く住んでいるので、しばらくはその落差で不便 of 不便を体感していた。1ヶ月もしたら慣れたけど。

 

里帰り後、わりとすぐに出産予定の病院で初めて健診を受けた。逆子ちゃんが判明した後の最初の健診でもあった訳だけれども、逆子ちゃんなおらず。

しかもこの時の「横位」というポジションは、いわゆる逆子体操とかでなおるものではなく、寝るときに左側を向くようにするぐらいしかできることがなかった。私がかかった病院は、逆子は例外なく帝王切開になるということだったので、「マジかよ切るかもしれないのかよ…」と少しドキドキしていた。

※ちなみに、お尻が下の逆子ちゃんは病院によっては普通分娩が可能なこともあるそうだけど、横位の場合はどの病院でも例外なく帝王切開になるそうな。

 

寝るときに左側を向く作戦が功を奏し、その後の健診で逆子ちゃんはなおっていた。でも先生が気になる一言をポツリ。「首にへその緒がかかってるねー。でもよくあることだから大丈夫。」

大丈夫って言ってるし大丈夫なんだろうなと思ってこのときは全く気にしていなかったんだけど、今思うとこれはフラグだった。

 

ところで私が里帰り先で選んだ病院は、駅前に7階建の建物をドーン、診察室は10個ぐらいずらーっと並んでいるという、地元でも人気の大きくて綺麗なところだった。東京では先生が1人だけのちっちゃい病院に行っていたので、すごい差である。32週まで分娩予約しなくていいって一体どんなシステムなんだよ…と思っていたけど、圧倒的設備量でカバーする方式だったようだ。

人気の病院だけあって、健診の待ち時間が毎回長時間なのはちょっと大変だった。

 

妊娠後期のイベントとして、病院が開催する生活上の注意やら分娩の流れやら入院の手続きやらの説明をする母親教室というものがある。栄養士さんの「夏野菜は身体を冷やすよー」みたいなフムフムと聞ける話もあったんだけど、それより強烈なのが、院長が「妊娠期間中に〇〇になった方、赤ちゃんは助かりませんでした」みたいな話を1時間ぐらい延々とするのである。注意喚起なのはわかるんだけど、喚起しすぎて怖い話100連発みたいになってしまっていたのはどうなんだろう…。

 

臨月目前ということもあり、この頃に実家最寄りの赤ちゃん本舗に必要な用品を買いに行ったんだけど、何を買えばいいのか全くわからない。
例えば服を買うにしても、「長肌着」「短肌着」「コンビ肌着」「カバーオール」「ドレスオール」「ツーウェイオール」とか何か見慣れない服の種類が満載。

「肌着…はまあ下着なんだろうけど、長肌着と短肌着はどう使い分けるんだ…?コンビ肌着ってなんだ…?」「ナントカオール系はそれぞれ何が違うんだ…?どれを買えばいいんだ…?」と、アタマの中がハテナでいっぱいになるのである。

 

赤ちゃん本舗側もそれを見越しているのか、店舗内に出産準備リストみたいなのが置いてあったので、結局それを見ながら買い物をしたんだけれども、総額14万円の爆買いになってしまって笑った。
チャイルドシートとかベビーカーもこのタイミングで買ったからっていうのもあるけど、赤ちゃん本舗に踊らされた感が満載である。

 

一応は産休に入っていたわけだけど、実家にMacBookProを持って帰り、Magic Mouseも購入し、作業体制をバッチリ整えていたため、何も予定がない日は相変わらず朝から晩まで仕事をしていた。気がつくと夕方で、電気もつけずにPCに向き合っていたりしたのて、帰宅した親に「あんた暗い部屋で何やってんの…」と呆れられたりもした。

 

 

2017年8月

 

基本的には元気一杯な妊婦だったのだが、臨月にさしかかると、とにかく身体は重いしお腹苦しいし胎動であちこち痛い。仰向けに寝転がると自分の腹に押しつぶされそうだった。

 

中にいる人は順調に育ち、大暴れで元気一杯だったのだが、あるとき健診にいくと、先生がポツリ。

「赤ちゃんが少しも下がってきてない。生まれる気配が全くないねぇ。」

※出産が近づくと、赤ちゃんの位置が下がってきて、頭が骨盤にはまってくるらしい。

 

とりあえずは身体を少し動かしてみたほうがいいということで、近所を毎日2kmぐらいお散歩した。お店も何もない田舎道で、ただ歩くのもつまらないので、ポケモンGOでひたすら卵を孵化させるということをやっていたのだが、ポケストップも全くないので、東京で手に入れまくっていた卵も底をついた。こういうゲームはほんとに都会向きだね…。

 

翌週以降の健診でも「赤ちゃん下がってない。」と言われ、あまりにも位置が変わらないのでレントゲンを撮ることに。赤ちゃんの頭が骨盤よりも大きくて物理的に通過が無理な場合があるらしく、その場合は帝王切開するしかないようだ。妊婦ってレントゲン撮れるんだ!?と結構驚いた。

 

レントゲンを撮った結果、頭のサイズ的にも骨盤は普通に通過できるだろう、ということで、引き続き毎日お散歩をがんばるという方向で様子見になった。

 

8月後半になっても相変わらず仕事を頼まれ続けたので不安になり、いつ私がいなくなっても良いように各種作業のマニュアルをまとめまくった。会社側も私が仕事の締めに入り始めたとようやく気付いたのか、単発の簡単な仕事だけをくれるようになった。

 

そして忘れもしない、8月31日。

 

この日の健診での内診で、いわゆる内診グリグリというやつをされたのだが、その時先生が、「少し出血するかもしれないけど、少量なら気にしないで」と言われた。確かにその後少し出血があったけど、先生に言われたとおり気にしなかった。

 

 

思えばこれはフラグだったのだ…。

 

この日はサッカー日本代表のW杯のアジア最終予選の日。これで勝てばW杯出場決定の試合だったので是非とも見たかった。

 

旦那とLINEで会話しながら日本代表が勝利したところまでを見届け、その後深夜に寝る支度をしているときに気がついた。

 

なんかお腹痛い…。

 

ただ、痛みの頻度がかなり不規則だし、痛いときでも酷い時の生理痛ぐらいだったので、「これが前駆陣痛ってやつかな…」と思いながら布団に入ったのだが、どうにもこうにも痛くて眠れない。「これ陣痛…?でも頻度も痛みの強さも相変わらずバラバラだし…」とほとんど眠れずモゴモゴしているうちに日が昇る時間帯に。

 

2017年9月

朝になっても状況が変わらなかったため、朝イチで病院に電話してみたところ「一応来てください」とのことだったので、入院の準備をして母に車を出してもらい病院へ。そして診察。

 

先生「破水してますね。」

 

破水というと、普通は水がジャーッと出てくるのだけれど、私の場合「高位破水」という、卵膜の高い位置が破れる現象が発生したために気付きにくかった。前日に出血したのは内診のせいではなく、実は破水していたようだ…。

 

破水していたものの、中の人はほとんど下がって来ておらず、陣痛も弱かったため、「陣痛促進剤を使ってみて、それでもダメだったら帝王切開」という出産プランに。先生曰く「まぁほぼ帝王切開になるでしょう。お母様は待機しておいてください。」

なんだか大変なことになったなぁ…と東京にいる旦那に入院決定の報告をしつつぼんやりしているうちに、あれよあれよと陣痛室をすっとばして分娩室へ直行。

 

分娩台に上がり、お腹に色々器具を付けられ、室内にあったモニターには色んなグラフが映し出されており、興味深くみていた。どうやら一つのグラフは痛みが強くなるタイミングで大きくなるグラフのようだったので、まだ余裕がうちは、あー今から痛くなるんだー…おー、痛いぞみたいな感じだった。

 

そのうち促進剤の投与が始まったのだが、そしたら割とすぐに激痛。いや確かに陣痛は痛いって聞いてたし知ってた。でもこんなに苦しいなんて聞いてない。身体が勝手に全力でいきもうとするんだけど、我慢しなきゃいけないという苦しさと、内臓収縮の痛みが重なって、もはやわけがわからない。

促進剤投与前は「今こっちに向かってる旦那にLINE実況しながら出産とかどうよ(笑)」とか考えてたんだけど、そんな数分前の自分を殴りたくなった。

 

促進剤を投与されてしばらくすると、お腹にドンッと衝撃があり、水が大量に出て来た。これぞThe 破水だ!!といえる破水だった。助産師さんを呼んで後処理をし、その後分娩室に一人ポツンと置いとかれたのだけど、助産師さんが戻って来てモニターを確認し一言。

 

「まだ陣痛弱いから、促進剤増やしますね」

 

おいうそだろ今でもこんなに痛くて苦しいのに…と軽く絶望した。

 

陣痛で苦しんでいると、助産師さんから「学生の実習に協力してもらえないか」という申し出があり、力なく「あ…はい…いいですよ……」と深く考えずにOKした。学生さんは私の腰をさすってくれたりお尻を押さえてくれたりして今考えるとありがたいんだけど、当時は内心「そこじゃねぇぇぇぇ!!!私が押さえて欲しいのは尻だよ!!!尻の穴だよ!!!!お前の肛門はそんなところに付いてるのかよ!!!!!」と怒鳴り散らしたい気持ちで一杯だった。ごめんなさい。

※陣痛を和らげるときに肛門あたりを押さえるのが有効なのです。

あんなに誰かに尻の穴を押して欲しくなる瞬間が訪れるなんて、人生とはわからないものである。

 

学生さんに尻の穴じゃないところを押さえてもらいながら、再度助産師さんが確認。

 

「まだ弱いですねぇ…このままもうしばらく様子を見て、変わらなければもっと量増やしましょうか」

 

まじかよどんだけ痛苦しいんだよ出産…と再び絶望。助産師さんに「がんばって」と励まされていたけど、「私もうこれ以上頑張れないから切ってくれ。」って思った。

 

結局状況はかわらず、促進剤増量。

 

あまりに状況が変わらなかったせいか、助産師さんに体勢を変える提案をされた。土下座ポーズみたいな感じだったのだけど、この姿勢がまた辛い。陣痛で苦しいのに加えて、今度は首とか肩とかが陣痛関係なく痛い。もとの横向きに戻りたい……とひたすら考えていた。

 

このとき、時々赤ちゃんの心拍が弱くなることがあったらしく、鼻のところに酸素のチューブをつけられた。私は私で「呼吸ちゃんとしなきゃ!!!」とは思ったんだけど、陣痛が苦しすぎて時々呼吸方法を忘れていた。

 

この辺りから記憶があやふやになってくるのだけど、何回か姿勢を変え、促進剤を増やし、子宮口全開になり、もう少しで生まれそうというタイミングで、奇跡の旦那到着。(本人の希望もあって立会い出産希望だったが、遠方なのでほぼ諦めてた。)

助産師さんが「お父さんきたよー!」と言って連れてきたんだけど、このとき私はもうクタクタで、力なく「いらっしゃい…」というので精一杯だった。

 

その後「次痛くなったらいきんでね」と言われ、ついにいきみ解禁。いきんだり休んだり。なかなか疲れるんだけど、陣痛をひたすら耐えてるよりは全然マシな状態。

 

そんなことを繰り返しつつ、痛みが去り休んでる間に周りを見ると、いつのまにか助産師さんがいっぱい。そしていつのまにか分娩台の横に設置された台の上に先生が乗っている。

 

「赤ちゃん出て来ないので、吸引します」

 

そう言われて、器具を装着されたあと、いきみはじめたと同時に台の上に乗っている先生が、私のお腹を思いっきり押しはじめた。めっっっっっちゃ痛い。人生の中でこんなに全力でお腹を押される機会ってなかなか無いと思うレベルで押されて悶絶するレベルだったけど、とりあえず産まなきゃいけないのでひたすらいきみ続けた。そんなことを何回かやって遂に、2017年9月1日 16:58に2820gの男の子、爆誕。

 

そのあといつのまにか切られていた会陰を縫合したり、へその緒がたすき掛けみたいになっていたからなかなか赤ちゃんが降りて来られなかったんだねという話を聞いたり、役目を終えた胎盤を見せてもらったりして過ごし、やっと赤ちゃんとご対面。この小さな自分じゃない生き物が、さっきまで自分のお腹の中に入っていたなんて、ニワカには信じられないなぁとぼんやり思った。

 

そこの病院では、出産当日のみしっかり休むために母子別室だったのでしばしのお別れをし、持ってきた寝巻きに着替えてさぁ部屋に行こう、と分娩台を降りた瞬間、世界の音が急に遠くなり、目の前の風景から色が消えた。何かの比喩ではなくマジで。恐らく貧血的な症状。分娩台の横には車椅子が用意されていたのだが、確かに車椅子無かったら移動が無理なレベル。数時間でこんなに消耗するなんて、出産って本当に壮絶だなと思った。

 

退院前に返却された母子手帳を見ると、分娩経過の欄には「破水、陣痛開始入院。微弱陣痛で促進、回旋異常のためクリステレル圧出法」と書かれていて、恐らく経膣分娩の中ではフルコンボな方で、本当に帝王切開一歩手前。現代じゃなければ死んでる出産だったのでは…。

 

 

以上、出産までの思い出話でした。

 

出産から4ヶ月半。ますます可愛くなっていく息子のこれからの成長がとても楽しみです。